由緒

4町の歴史

江戸時代から受け継がれ、関東大震災まで用いられた旧町名を手がかりに、各町の歴史をご紹介します。

1.福井町一丁目の歴史

福井町一丁目は、江戸時代前期にこの地におかれた越前松平家の屋敷地に形成された町です。
屋敷の移転にともなって町割りが定まり、町地として歩みを始めます。また、町内には平安時代に創建した当銀杏岡八幡神社が鎮座しています。

江戸時代中期からは、札差・大口屋平兵衛をはじめとする有力商人が町の経済を支え、職人や商家が軒を連ねる活気ある町並みが形成されます。
江戸後期から明治にかけて、町はさらに繁栄していきました。
明治16年(1883)には戸数504戸・人口1,483人、明治末から大正初年にかけては人口約2,000人に迫り、福井町一丁目は浅草区の中でも人口密度の高い地域となっていました。
近代化の進展とともに教育や文化も浸透し、町内から名士や実業家を輩出するなど、地域社会としての厚みを増していきます。

しかし大正12年(1923)の関東大震災は、町の姿を一変させました。
浅草区の大半が焼失する未曽有の被害の中、福井町一丁目も例外なく焦土と化します。
その後の帝都復興計画により、耐災害都市を目指した大規模な区画整理が実施され、街路や街区は南北方向を基調とする現在の形へと再編されました。
この復興事業の一環として鉄道整備も進められ、昭和7年(1932)には総武線御茶ノ水―両国間が開通し、福井町一丁目南部に浅草橋駅が誕生します。
高架構造や廃レールの再利用など、先進技術と迅速性を両立させた駅舎は、復興する東京の象徴的風景の一つとなりました。

昭和9年(1934)の町名整理により福井町一丁目は消滅し、その区域は浅草橋一・二丁目に編入されます。
さらに昭和20年(1945)の東京大空襲では、町は再び壊滅的被害を受けました。戦後の復興は早く、昭和25年(1950)には町並が再建されています。
その後、下谷区と浅草区の合併によって台東区が誕生し、昭和39年(1964)の住居表示実施を経て、かつての福井町一丁目全域は浅草橋一丁目として現在に至っています。